英語の勉強で大事なもの。

英語を上達させるために重要なもの。

 

これは個人差があると思います。

これをランク付けすると

 

 

スピーキング=リスニング>>>ライティング=リーディング

 

この順番だとぼくは思っています。

 

 

でも、日本の場合

 

リーディング>>>>ライティング>リスニング>>>スピーキング

 

順番で言ったらこれくらいですよね。

 

 

では、なぜこの順番に下のか。

 

その理由を説明していきたいと思います。

 

私たちが、何かを考えるときって言うのは

イメージや音声や記憶の感触など、さまざまなものを手がかりにします。

 

ただ、その過程で言葉で考えたり、最終的にそれを言葉として表現するわけです。

人間って、言葉と音声で考えるわけです。

 

 

言葉にできない。音声にできないって言うのは人間理解できてないのとおんなじなわけです。

 

そんな状態で、リーディングとかライティングと課しても無意味ですよね。

アウトプットができないわけですから。

 

 

 

言い換えれば、音声や言葉にできたらそれは理解度がかなり深いというわけです。

その道の専門家だって、うまい人は説明もうまいですよね。

 

もちろん、直感的に物事を処理する能力は高いけど、言語化するのは苦手。

という人も多いのは事実です。

 

職人とか、その気質の人ととか。

 

ただ、それはそれ。

 

英語を理解しているというのは

個人の意見ですが、英文と音声を理解している。

 

この2つの琴田と思います。

 

 

では、なぜライティングとリーディングをここまで下げたのか。

 

文字がなくても意思疎通ができるからです。

動物とか、文字も使わずにコミュニケーションをとっています。

 

日本に住んでいたら信じられない。

と思うかもしれませんが、世界を探せば識字率が低い国というのはたくさんあります。

 

それでも、生活しているわけです。

 

名に行ってるかわからないけど、文字にしたら理解してくれた。

そんな経験や事例はいくつもありますが、まずはスピーキングとリスニングですね。

 

 

では、なぜ日本はリーディング至上主義になったのか。

それは、明治時代にあると思います。

 

 

日本で本格的な教育制度が始まったのが明治時代です。

理系は将来的に、科学者やそっち方面の道にすすむ。

 

というのはイメージしやすいと思います。

 

じゃあ、文系は。

 

といわれると思いつきますか。

 

実は、政府官僚になるためです。

 

 

官僚とか、基本的に東大出身です。

 

 

官僚というのは基本的に事務仕事がメインになります。

官僚って今でもデータ収集や資料作成に必死ですよね。

 

彼らは直接交渉するのではなく、あくまでも資料などの裏方係です。

 

 

ただ、日本に絶対に資料があるわけではありません。

時には海外の資料もあさる必要があります。

 

資料集める際に英語は話せなくても、読める必要があるわけです。

 

 

その時代の流れがずっと続いて、今みたいなリーディング至上主義になったんでしょうね。

 

この辺は、中世ヨーロッパの階級社会など色々複雑な関係がありますが、その辺わからずにとりあえず海外のまねしてうまくいったは良かったけど。

 

今の時代だと時代遅れですね。

 

まぁ、組織が巨大化するほどそれを変革するのは難しいのは世の常ですが。